スキップしてメイン コンテンツに移動

音の哲学について(3)

 

廃盤になってしまった、SPL NEOSエンドーサーモデル。この機材が無ければ、生まれなかったサウンドは山ほどある。

では、僕はどうやって世界に認めて貰えたのか?また、その感性や技術というものは、どうやって身に付いたのか?ここに自分の体験談も併せて、ご説明してみたいと思います。

一つ大きなファクターとして、背景を色々と説明すると長くなりすぎので割愛しますが、音の概念自体は20代中盤にニューヨークでピアノの音を学ぶ機会を得ています。それは日本国内でのサウンドが、大分概念が異なると思っていたので、それを追求するための期間でした。僕のこれまでの半生は、ビジネスと音とが交互にやってきていて、音や音楽に傾斜するとその期間は修業期間として収益は殆ど出ない中で、何とかそのスキルを身に付けて次のステージに行くということを繰り返しています。それが今になり、年齢的な経験値も併せ持った上で、ビジネスと音とが相互に上手くかみ合ったところでビジネスのグロースのフェーズに入っています。

そして、ニューヨークで学んだ後は完全に独学で、日本国内で音の感性というものに触れたりですとか、何かしらのアプローチというものは行わずに、30代でバークリーに入って学ぶ機会を得ます。つまりは日本国内での音の教育を受けたことがありません。聴き方、感じ方は世界のグローバルスタンダードを学び、常に意識し・聴き・感じ・アウトプットしようとしていました。また、勉強は得意なようで得意ではなく、苦手なようで得意という変わった人物像故に、何か特化して学んだ折にはとてつもなく結果を出すようなところも持っていたので、論理性と感性を融合させた形で話の展開がなされる西洋人の対話は大好きでした。また、インターナショナルスクールの卒業生でもあるので、子供の頃から西洋社会に慣れてはいました。

これら背景が僕にはあります。この諸要素が、その後の活動にどう活かされているのかは、自分自身でもよくわかりませんが、しかし、何かしらの形でヨーロッパでの成功に導いてくれたことは間違いありません。また西洋人、特にエグゼクティブたちとの付き合いにおいても、僕が持つ独特の性格が彼らに好かれ、妙にかわいがってもらったところがあります。その性格は世界のトップアーティストたちとの仕事でも活かされましたし、メーカーとの付き合いにおいては、高いハードルを自分に設定して、そのハードルを越え続けるという行為も好きだったので、この辺りの強い競争心というものも、コンペティションには非常に程良く作用してくれたと思います。

これらを列挙したところでの結論ですが、結局のところ僕は日本人ですが日本では育っていない一部分というものを持ち合わせていると改めて思います。よく言語能力として英語力はどれほどか?と聞かれれば、僕よりも上手な非ネイティブは幾らでもいるでしょうし、自分の日本語力と比べると英語力は言語力として凡そ70%くらいの能力だと思っているというのが回答です。この劣る英語力でどれほどのコミュニケーションが可能なのか?というところに関しては、微細な表現を用いての対話というのは出来ないと思っています。それは、様々な非ネイティブと話していても共通の認識で、ハーバード大を修了できたとしても同じ認識です。やはり母国語と同じように操るというのは不可能で、どちらかに偏るものと思われます。むしろ大切なのは、言語としての在り方ではなく、具体的にスキルとして何を表現し世界と戦い、共存共栄できるのか?という箇所に議論を集中させた方が良いかと思います。僕の場合は、世界で揉まれたグローバルスタンダードの感性があり、それを磨こうとした強烈な向上心が世界の扉を開けさせたと思っています。

そしてもう一つ大きなファクターだと思っているのは、僕はずっと自分の実力やその在り方、そして世界の差異について素直な姿勢でいたいと思っていました。まっすぐな精神で臨んでいないと、何かしら歪みが出て真っ向勝負が出来なくなるので、絶対に勝てないということは様々な人生の局面で勝負をしてきた身として嫌というほど身に染みていました。なので、とにかく真っ直ぐに世界のレベルと向き合うということも心掛けていました。そして色々なところに顔を出し、風穴を開けて行く度に次のレベルへ上がれるための要素を探し回りました。それが結果的に仕事を与えてくれ、地位を身につけさせてくれ、更には国際公式エンドーサーという称号をも与えてくれました。






コメント

このブログの人気の投稿

FinalEffectから、Final Masterがリリースされます。

 前回のプラグイン開発から少しお時間を頂きましたが、次作がおおよそ完成しましたので記事にしてみたいと思います。今回はその名も「Final Master」です。 既にFinalEffectは世界中でヒットしまして、特にアメリカ・ドイツ・イギリスを中心に今日現在で218ものディーラーで販売されるに至りました。音楽先進国での成功を目指してきた身として、この結果は想像を超えるものであったのですが、今後も更にシェアを伸ばしていきたいと考えています。こうした背景の中で次に取り組んだのが、 「既に使用されているプラグインを取り込む仕組みづくり」 でした。著名なところではWaves、Plugin Aliance、UADだと思うのですが、これら全てのプラグインがFinal Masterへ取り込むことが出来、そしてこれまで悩みであった音痩せやディストーション、またプラグインならではの何とも言えない弱々しさというものが一気に開放されるという仕組みづくりを行いました。つまりは、サウンドのプラットフォーマーとしての立ち位置を目指し、今回企画・立案・開発が推移しました。何度も企画を見直しながら、「この夢のプロジェクト自体が本当に実現できるのか」という思いを馳せながら、自動車メーカーのBMWのプログラミングを行っているチームを招聘し、今回開発をドイツ側と共同で行った経緯もあります。結果、これらが実現し、こうして発表できるところまで漕ぎ着けることが出来たというわけです。 僕が実際に所有しているハードギア、例えばelysiaのalpha compressorのプラグインをFinal Masterに挿して使用すると、場合によってはハードのalpha compressorを凌ぐ性能を発揮するところまで製品の精度を高めることが出来たと自負しています。 そして今後の施策としてさらなる最も大きいニュースとして、FinalEffectシリーズがサブスクリプション化されます。勿論永年でご購入頂くことも可能ですが、FinalEffect自体の販売経路が世界シェアに拡大したことから、全てのパッケージを月額$10で提供されることが決定しています。 更にはエンゲージメントの強いFacebookにて、ご希望をお聞きしながらプリセットを随時追加していく仕組みづくりを構築中です。AIマスタリングなどもありますが、あくま...

日本で230vの運用について

電源において200vは簡単に引くことのできる国内ですが、ヨーロッパ製が大多数を占めるスタジオ機材においては230vがメインのため、電圧が足りない状況に陥ります。故に200vを減圧して115vで使用するケースが殆どと言え、この200vをなんとかして230vで運用してみたいと思った方は多いはずです。 もっとも僕もその一人で、アメリカで聴くサウンドとヨーロッパで聴くサウンドの違いというものは、双方の国に行くたびに感じていたことでした。勿論考え方が根本的に異なる両者ですので、違いが出て当然なのですが、機材の違いでもなく録られる音質の違いでもなく、何か本当に根っこの部分でヨーロッパとアメリカの違いというものを感じていました。僕も手っ取り早いので、115vは直ぐ様導入して100vとは異なる音質を手に入れることはできていました。 ここで電源やケーブル、タップ類の話になる前提として、絶対的に根本的な考え方が根底で出来ていること、そして自らの耳を常に疑われる、非常にレベルの高いクライアントたちから、ガンガンにクレームを言われながら鍛え上げられている柔軟な感性を持ち合わせていること、そして世界中の新曲に触れる機会に恵まれていることが絶対条件になります。自で 『 自分の作る音ならば間違いない、俺の価値観は絶対だ』 と思ったり考えているのであれば、その人は決して上に突き抜けることはありません。その考え方で、どうにかなってしまうクライアントしか仕事を受けられないからです。最高レベルに行き着くこともなく、成長はそこで止まります。適正な報酬、最高レベルでの感性と技術を売り込めば、それなりに自らの感性にも技術にも自信のあるクライアントからオファーを貰うことになります。そしてガチンコで意見を出し合いながら音を構築していくわけで、その場では必ず意見の衝突が起きます。その衝突を糧としながら、自らの感性や視野を育てていくことになり、そうしたクライアントと年に10人も出逢えばかなり揉まれます。自らの価値観など無に等しいくらいに否定され、揉みに揉まれて最後に残った価値観こそが自らのものとして最終的に残ることになるでしょう。また痛いのは、海外からのオーダーで、言語が全くわからない曲があったりします。例えばドイツ語やイタリア語、スロバキア語やウルド語(インド・パキスタン周辺の公用語・・・なのかな)が用いら...

elysia / xpressor, nvelope, xfiter, karakter レビュー

elysia導入。その① 近年の音楽制作において、様々な模索をし膨大な時間と労力をスタジオワークに注いできた。演奏家として自らのスタイルを確立していく中で、追い求めるサウンドの理想はしっかりと見えていながら、中々先行きの見えない手探り状態が長く続いた。その理由の一つとして、自らが求めるサウンド感が日本国内には存在していなかったこと、そしてその実現に向けて世界に目を向けたところで、膨大な量の情報が集まる中での模索は困難を極めた。 『著名な欧米人エンジニアに仕事を頼んだが、自らのプロフィール写真はアウトボードばかり写っているが、実際のところはプラグインが相当量使用されていた。』 などの情報も混在し、メジャーどころのプラグインは一通り試してみた。しかし一聴すると良いと思えるものも、突き詰めれば突き詰めるほどに、またハイレゾリューション・オーディオを意識したサウンド感を生み出そうとすればするほど、必ずと言って良いほど、完成した音源は破綻をきたしていた。滑らかに曲線を描くはずであった弦楽器の音色は、デジタル処理されたプラグインにスポイルされ立体感を失い、幾通りにも重ねられたプラグインは、拘りこそ感じられるが最終的な理想とする仕上がりには程遠い。一体何がこうさせているのかを模索しても、デジタル処理の限界を超えられることはなく、特に奥行きと幅を求められるアコースティック楽器を主流とした音作りには工面させられた。何百時間、何千時間とスタジオで音色を求めようとも、回答は結局のところ得られなかった。 しかし、転機が驚くところで与えられた。 文化庁からの招聘で、学校コンサートを依頼された折、校歌を歌って欲しいとのことでCDを渡された。 『ICレコーダーか何かで録ったのかな・・・』 という程度に受け止めていたが、仕事に向かう道中カーステレオから流れてきたその校歌に驚かされた。内容としてはシンセサイザーの打ち込みとコーラスで構成されていたが、明らかに幅と奥行きが存在していた。自らが持ち合わせていた先入観に等しい、『学校の校歌にそこまでの予算をかけることはないだろう』という考えがサウンド側から覆され、校歌というシンプルな音楽の上に立った時、それがコンソール経由で制作されたことがクレジットからも読み取れ、またその校歌自体はSSLやNeveほど高価なコンソールを使用していない...