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全てのプラグインを異次元のサウンドにブラッシュアップできる、Final Masterが遂に登場。


 企画立案から2年以上が経過し、ようやく皆様にお伝えすることができる新製品のご紹介です。その名もFinal Master。

僕としては必ず画期的で革命的な要素を新製品に求めていきたいと思っていますが、今回はデモ動画の通り、『既存の全てのプラグインが、Final Masterを介せばディストーションや音痩せ、音割れなどから完全開放される』という夢のプラグインを企画してみました。

これFinalEffectシリーズとして、海外でも話題になったのですが、僕がコンセプトとしたのは『ハードギアのダイナミックさと利きの強さ』というものでした。これを全てのプラグインへ享受できるような作りにできないだろうか・・・というメチャクチャな企画を立てたわけですが、またまた世界中の超絶に優秀なエンジニアたちが頭を捻りに捻って完成させたというものです。

このプログラミングを率いたBMWのプログラミングを担当するDavidはミュンヘン工科大学、サポート役に回っていたAdamがケンブリッジ、そして僕がハーバードという構成で、世界最高の大学出身者たちが芸術・技術・ビジネスを完全融合させる哲学を共有し制作されました。この三位一体の考え方というものが、意外と音の世界には共有化されておらず、それぞれの立ち位置で乱立してしまっているがゆえに更なる次世代が生まれ難いといった現象を垣間見、僕の方でその課題点を洗い出してリストラクチャリングさせることで、更なる新たな技術を生み出した・・・という感じでしょうか。

皆さんが既に使用してらっしゃるプラグインが、これまでのデジタル領域では出来なかったサウンド作りというものに挑戦できる新たな取り組みは、今後の音楽制作に全く新たな視点を組み入れることになるはずです。



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FinalEffectから、Final Masterがリリースされます。

 前回のプラグイン開発から少しお時間を頂きましたが、次作がおおよそ完成しましたので記事にしてみたいと思います。今回はその名も「Final Master」です。 既にFinalEffectは世界中でヒットしまして、特にアメリカ・ドイツ・イギリスを中心に今日現在で218ものディーラーで販売されるに至りました。音楽先進国での成功を目指してきた身として、この結果は想像を超えるものであったのですが、今後も更にシェアを伸ばしていきたいと考えています。こうした背景の中で次に取り組んだのが、 「既に使用されているプラグインを取り込む仕組みづくり」 でした。著名なところではWaves、Plugin Aliance、UADだと思うのですが、これら全てのプラグインがFinal Masterへ取り込むことが出来、そしてこれまで悩みであった音痩せやディストーション、またプラグインならではの何とも言えない弱々しさというものが一気に開放されるという仕組みづくりを行いました。つまりは、サウンドのプラットフォーマーとしての立ち位置を目指し、今回企画・立案・開発が推移しました。何度も企画を見直しながら、「この夢のプロジェクト自体が本当に実現できるのか」という思いを馳せながら、自動車メーカーのBMWのプログラミングを行っているチームを招聘し、今回開発をドイツ側と共同で行った経緯もあります。結果、これらが実現し、こうして発表できるところまで漕ぎ着けることが出来たというわけです。 僕が実際に所有しているハードギア、例えばelysiaのalpha compressorのプラグインをFinal Masterに挿して使用すると、場合によってはハードのalpha compressorを凌ぐ性能を発揮するところまで製品の精度を高めることが出来たと自負しています。 そして今後の施策としてさらなる最も大きいニュースとして、FinalEffectシリーズがサブスクリプション化されます。勿論永年でご購入頂くことも可能ですが、FinalEffect自体の販売経路が世界シェアに拡大したことから、全てのパッケージを月額$10で提供されることが決定しています。 更にはエンゲージメントの強いFacebookにて、ご希望をお聞きしながらプリセットを随時追加していく仕組みづくりを構築中です。AIマスタリングなどもありますが、あくまで通常の

elysia / xpressor, nvelope, xfiter, karakter レビュー

elysia導入。その① 近年の音楽制作において、様々な模索をし膨大な時間と労力をスタジオワークに注いできた。演奏家として自らのスタイルを確立していく中で、追い求めるサウンドの理想はしっかりと見えていながら、中々先行きの見えない手探り状態が長く続いた。その理由の一つとして、自らが求めるサウンド感が日本国内には存在していなかったこと、そしてその実現に向けて世界に目を向けたところで、膨大な量の情報が集まる中での模索は困難を極めた。 『著名な欧米人エンジニアに仕事を頼んだが、自らのプロフィール写真はアウトボードばかり写っているが、実際のところはプラグインが相当量使用されていた。』 などの情報も混在し、メジャーどころのプラグインは一通り試してみた。しかし一聴すると良いと思えるものも、突き詰めれば突き詰めるほどに、またハイレゾリューション・オーディオを意識したサウンド感を生み出そうとすればするほど、必ずと言って良いほど、完成した音源は破綻をきたしていた。滑らかに曲線を描くはずであった弦楽器の音色は、デジタル処理されたプラグインにスポイルされ立体感を失い、幾通りにも重ねられたプラグインは、拘りこそ感じられるが最終的な理想とする仕上がりには程遠い。一体何がこうさせているのかを模索しても、デジタル処理の限界を超えられることはなく、特に奥行きと幅を求められるアコースティック楽器を主流とした音作りには工面させられた。何百時間、何千時間とスタジオで音色を求めようとも、回答は結局のところ得られなかった。 しかし、転機が驚くところで与えられた。 文化庁からの招聘で、学校コンサートを依頼された折、校歌を歌って欲しいとのことでCDを渡された。 『ICレコーダーか何かで録ったのかな・・・』 という程度に受け止めていたが、仕事に向かう道中カーステレオから流れてきたその校歌に驚かされた。内容としてはシンセサイザーの打ち込みとコーラスで構成されていたが、明らかに幅と奥行きが存在していた。自らが持ち合わせていた先入観に等しい、『学校の校歌にそこまでの予算をかけることはないだろう』という考えがサウンド側から覆され、校歌というシンプルな音楽の上に立った時、それがコンソール経由で制作されたことがクレジットからも読み取れ、またその校歌自体はSSLやNeveほど高価なコンソールを使用していない

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